カンボジアインターンを通して見えたもの
date2017.2.14
こんにちは!WEBインターンの 長島遼大です。
今回は「インターン生にロングインタビュー」をお届けします。
かものはしでインターンをしている学生は、思いや考え方が面白い人がたくさんいます。
インターンをしている学生がどんな人なのかを多くの人に知ってもらいたいと思い、
国行さんにインタビューをしました。
ぜひ最後までお付き合いください!
2016年の夏休みにカンボジアでインターンを行った国行桃歌さん。
もともと「貧困」に興味があった彼女は、インターンでの経験を通して
「どんな支援をしている団体も『教育』に行きつくのではないか」
というひとつの考えにたどり着いたと言います。
現在は、日本の教育に目を向け、教育支援を行っているそうです。
今回のインタビューでは、どのような思いでカンボジアに行ったのか、一番の思い出は?
など様々な質問に答えてもらいました。
10代の彼女の想いを知ることで、読んだ後に少し前向きになれる、
そんなブログになりました。
左から2番目、緑色の服を着ているのが国行桃歌さん 現在、横浜国立大学2年生。
2016年の夏休みを利用してインターンを行いました。
インターンを振り返って
現地の工場の様子
―まずは、カンボジアにはどのようなきっかけで行ったのですか?
かものはしとの直接的なきっかけは、かものはしで元々インターンをしていた先輩に出会えたことです。
その方と私は途上国の経済について学ぶ、経済学部の同じ講義をとっていて、
その中で彼が講義の一環としてかものはしのスタッフをゲストスピーカーとして招いてくれました。
そこでかものはしのプロジェクト内容について詳しく知り
さらにカンボジアインターンの存在を知って、海外でのインターンに惹かれたため、やってみようと思いました。
―実際にインターンが決まり、カンボジアに行く前はどんな思いでしたか?
小さいころから思い焦がれていた国際協力の分野で働ける!というワクワクとドキドキが大きかったです。
自分の出来ることをやってみよう、
自分が何かを変えられるとは思わないけれど、自分の中で後悔しない時間にしよう、
そんな風に思っていました。
―現地ではどのような仕事をしていたのですか?
私たちの活動に興味をもってコミュニティファクトリー(以下CF)にきてくださったお客様のガイドがメインのお仕事でした。
私たちかものはしが歩んできた経緯や、今の目標、ファクトリー内の説明などを約2~3時間のツアーの中でご案内します。
そのほかに、CF横に併設されたショップのマネジメントもしていました。
在庫確認→発注→販売→売り上げ打ち込み→在庫確認...の流れです。
これはもちろん一人でやっていたわけではなく、現地スタッフのコムソットと一緒にやっていました。
現地で働く中で大きなハンデになったのが、クメール語が全く話せないことです。
クメール語の必要性は現地に行って初めて気づきました。
私の場合、インターンの目的の一つに、現地の女の子の声を聴きに行く、ということもあったため、
それが十分達成されずに帰ってきてしまうことになりました。
渡航前から勉強しておくべきだったという大きな反省です。
※現地で作成した単語帳。ノートにはびっしりとクメール語の単語が書かれていた。
女の子の当たり前の笑顔
―現地での一番の思い出は何ですか?
毎日が新たなお客様との出会いで、
様々なバックグラウンドを持つそれぞれのお客様とお話しできることはとても刺激的でした。
ただ、現地で一番心をぐわっとつかまれた瞬間、という意味では、
ある女の子の笑顔を見たときかもしれません。
私が8月にCFに通い始めた時、ちょうど新しく働き始めた女の子たちが12人いたのですが、
その中でも、最年少の女の子があまりに初々しくて、見ている私は勝手に気にかけていました。
最初のうちは、なかなか他の女の子と打ち解けている感じではなかったんですね。
でも毎日見ているうちに、だんだんと周りのお姉さんたちと打ち解けていき、
ある日、CF内でパーティーが開催されたのですが、その時に今まで見せていなかった心からの満開の笑顔が見れたんです。
10代半ばの、日本だともしかすると中学生かもしれないような年齢の、年相応の、本当に無邪気な笑顔を見た時、
心の底から何かが沸き上がってきて胸がいっぱいになってしまいました。
10年前は今とも状況がかなり違っていたでしょう。
かものはしが始まった2002年、カンボジアはこんなに明るい国だったでしょうか。
クチャ村は、女性が笑って働ける村だったでしょうか。
今は、10年前とは違うと、この瞬間感じました。
かものはしの仕事があるから生きていける、家族と一緒に暮らしていける女性たちがここにいるのだと、
かものはしが彼女たちの暮らしを今は支えているのだと実感することができました。
様々な支援のかたち
―カンボジアに行く前と行った後ではどのような変化がありましたか?
「貧困」というコンセプトが、私の中でものすごく変わりました。
小さいころから興味のあったフィリピンのマニラなどに見られる貧困というのは、
都市とスラムが隣接しており、とても発展しているところがある一方で、
少し移動するだけでスラムがあって、ボロボロの服を着ていて、食べるものも困っていて。
このように都市とスラムが近く、相対的に見ることが出来るので、
私からも現地の人からも貧困が理解しやすい形でありました。
これがわたしの中の貧困のイメージでした。
つまり、みんなが金銭的に余裕がある状態が幸せの形だと思える環境にいる、
(※相対的に見て貧困状態にある人が都市のような生活を目指したいと思うような環境)
ということが、当たり前だと思っていました。
一方で、クチャ村に代表されるようにカンボジアにはまだまだ「貧しい」「貧乏な」村がたくさんあるのですが、
金銭的には貧しくても、彼らの中に昔ながらの当たり前の生活があり、
それを文化や習慣として当たり前に続けてきています。
彼らにとって、外部からの支援で自身の経済的貧しさをまざまざと感じさせられることはどう感じられるのか。
それよりも、現地の人々に寄り添った支援、現地の人たちと一緒になって成長していくような支援のかたちが重要だとカンボジアで仕事をする中で強く感じました。
そういった意味で、都市部の貧困と村の貧困を、
国が違うといえどどちらも目にすることができたことは、わたしにとって非常に大きな経験でした。
インターンを通して、色々な貧困があって、現地に寄り添った支援が必要だと感じましたし、
貧困解決には絶対にこれといった解決策があるわけではないということを実感しました。
狭義での「貧困」しか知らなかった私にとって様々な形の貧困があるということを、現地が教えてくれました。
本当に必要な支援とは
―今後はどのような活動をしていこうと考えていますか?
今は、日本の子ども教育に興味があります。
カンボジアで「学校」としても機能するCFを見て、
どのような問題にしても、本当に必要な支援は「教育」なのではないかとつくづく感じました。
日本では、子どもの6人に1人が相対的貧困状態にあると言われ、
また親の教育水準や収入による教育格差も最近大きく取り上げられるようになりました。
私は、これまで周囲に「貧困」といえる状態を感じたことがなかっただけに、
どこに隠れているのか、日本の現状を知りたいと思うようになりました。
―最後に何か一言!
10代のうちにこのような機会を得られたことを本当に幸運に思います。
率直に申し上げて、今回のインターンで「まだ10代だから」という甘えが私の中になかったとは言い切れません。
ただ、できなくてもいいやという割り切りがあったからこそ、
必要以上の意地やプライドを捨てて真正面から仕事に向き合うことができました。
こんな未熟な私に、貴重な経験を与えてくださったかものはしプロジェクトスタッフの皆さんにこの場を借りて御礼を申し上げたいです。
ありがとうございました。
これから、かものはしでカンボジアインターンを考えている方がいらっしゃいましたら、ぜひお会いしてお話ししたいです!
カンボジアの新しいブランド SUSU店内での写真
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インタビューを行った後日、記事を見てもらうために再び国行さんにお会いしました。
現在は、経済的ハンデがあったり、家での学習環境に恵まれない小中学生に勉強を教えるボランティア活動を行っているそうです。
また、大学で、高校生への教育支援プロジェクトを立ち上げ運営に携わっているとのこと。
教育において意識していることはあるのかと質問してみたところ、
「わからないです...ないです。ただ、支援において重要なのって選択肢を与えることなんじゃないかと今は思っています。」
と答えてくれました。
「この前は英語を教えている小学生に、ストリートチルドレンについて教えたんです!」と話す彼女は、
あまり表情には見せないものの、ものすごく熱いものを内側に持っている
そんなことを感じさせてくれる方でした。