人生をかけた闘い
date2014.4.8
writer谷 杏奈
2002年、「子どもが売られる問題」をなくすため、当時大学2年生だった村田をはじめとする青木・本木の現共同代表3人によって、かものはしプロジェクトは立ち上げられた。
活動が開始されてから11年が経った現在のかものはしは、カンボジア・インド・日本を拠点に活動している。
今回のブログでは、私がインドで共同代表3人と共に過ごして目にした、人生をかけた闘いに挑むかものはしの姿をお伝えしたい。
人生をかけて、子どもが売られる問題を
解決しようとしている人たちを知っていますか?
©Natsuki Yasuda
インド、ニューデリーの売春宿の多くは、「GBロード」という売春宿街に集まっている。
ここではおおよそ1000人の女の子たちが、売春に従事させられている。
通りに面した1階は、電気関係の部品が売られていたり事務所だったりするため、一見普通の通りである。
ぎっしりと古びた建物がたっており、そこに幾つかの細い階段がある。
その階段をのぞくと女の子が数人立っている。そこが、売春宿だ。
私たちはこのGBロードを一度車で通り、様子をみた。
車の窓から外をのぞくと、ビル3階の頑丈に鉄格子が組まれた窓から、女の子たちが外を見下ろしていた。
時折窓のすき間から手を伸ばし、道を歩く男の人に声をかけている。
その異様な雰囲気を一番敏感に感じ取ったのは、代表の村田だった。
窓から外界をのぞく女の子たちをみて、いつも柔らかくあたたかい雰囲気をまとう村田からは想像もつかないほど苦しそうに、彼女の表情は冷たく凍り付いていっていた。
まるで、「いまこの時にも、ここへ売られ無理矢理客を取らされて、苦しんでいる子どもたちが、たしかにいるのだ」と全身に刻み込んでいるかのように。
©Natsuki Yasuda
ここに来る前、3人の代表たちは、現地パートナーNGOの職員と、拳銃を持った警察とともに、GBロードのとある売春宿の中へ入るメンバーを決めていた。
これまでかものはしでは安全面に大きな問題があるため、女性の売春宿の中の視察は容認されていなかった。
だから当然、今回も男性メンバーのみの突入になると予想していた。
「私も行きたいです。」
そう、村田が言った。
予想外の立候補者に、その場の空気がざわついた。
ニューデリーの赤線地帯であるGBロードにある売春宿は、子どもがお金で売買されているまさにその「現場」で、タイミング次第では性的搾取の現場に直面することも考えられる。
単に危険であるというだけでなく、そうなれば、彼女が心に受ける衝撃は計り知れない。
しかし、村田は、行くという決断を自らに下したのだ。
そう決意を述べた村田に対して、本木は間髪入れずにこう答えた。
「分かった。村田さんも、行こう。」
警察が一緒なので安全面が確保されているとはいえ、彼らは皆、これから自分たちの身に起こりうる 最悪の事態を覚悟した目 をしていた。
緊迫した空気が全体を包む中、それぞれが車に乗り込み、出発した。
私は今回同行することは叶わなかったため、車の中で待機していた。
GBロードにある売春宿の代表的な構造を簡単に説明する。
3階建ての建物の2階と3階が売春宿で、1階は普通の商店になっている。
2階は広間になっており、そこで客と少女・女性が出会う。
その階の隅や3階に1.5畳ぐらいの部屋がたくさんあり、そこで行為を行う。
3階には「ケージ」と呼ばれる隠し部屋があり、2層にわかれた複雑な構造になっている。
さらに屋上があるが、屋上は全て金網で囲まれ、絶対に逃げられないようになっている。
代表3人が訪れた売春宿もこれと似た構造であった。
3階にある「ケージ 」は通称「鳥かご」と呼ばれる。
売春宿のなかでもより高い階にある小部屋のことを指し、まるで"商品"かのように扱われる、美しい女の子たちを閉じ込めている。
ベッドひとつを置くので精一杯のその空間は、四方の壁をコンクリートに囲まれ、日の光も入らないような薄暗い部屋である。
扉には鍵がかけられていて、女の子たちは寝食もその中で過ごし、お客を取らされる時だけ鍵が解かれるようになっている。
女の子がそこから逃げ出せることは、ない。
警察が摘発に入ったとしても救い出される可能性は低い。
©Natsuki Yasuda
ガチャ。と車の鍵が空き、車のドアが開く音がした。
全員無事に帰ってきたことにまずは安堵した。
その後すぐに、売春宿の中を撮った動画や写真を見せながら、様子を話してくれた。
何枚もの写真を見ていくなかで、すぐにこれが「ケージ」だと分かるものがあった。
これを撮影した時には鍵が空いていて、部屋のなかに誰もいなかったが、明らかに今も使用されている部屋だった。
その他にも、警察が来たことで売春宿のなかで起きたパニックや、行為を行うための目を疑うような劣悪な環境を伝えられた。
まるで自分もその場にいるような空気に包まれたが、同時にそれは、まだ嘘のことのようだった。
すべての説明が終わり、ふと顔を上げると、売春宿のなかへ突入した人たちの目には
「絶望」の二文字が浮かび上がっていた。
その目をみて、全てが現実で、それはきっと彼らの想像以上のものだったのだと理解した。
その理由は単純だ。
これまで10年以上かけてカンボジアで、同じ子どもが売られる問題の解決に取り組んだ代表たちは、私よりもずっと、この問題の抱える苦しみや悲しみを知っているはずである。
だから、インドの売春宿のなかの構造も既にある程度想像がついていて、そこに居る女の子たちが置かれている環境も、想像可能な範囲内だと思い込んでいたのだ。
しかし、代表たちでさえ絶望するような現実が、そこにはあった。
左から青木、村田、本木。現地パートナーのループと。©Natsuki Yasuda
幾日も経たないうちに、インド事業の戦略を練るためのミーティングが開かれた。
そこに居た代表たちの目の色は、明らかに変わっていた。
闘う目をしていた。
売春宿のなかに突入した時の、いわば己を守るための覚悟の目から、
「売られる子どもたちを守る」
それだけを求める闘う目に変わっていた。
10年以上自分たちの人生をかけて、この問題の最前線で解決に取り組んでいる人たちだからこそ滲み出た迫力を感じた。
人身売買の現状を目の前に、ただ無力感に打ちひしがれるだけの人はたくさんいるだろう。
あの時の私も、そうだった。
そんな自分との決定的な違いを感じたのは、あの"闘う目"を見てからだ。
非常に複雑なインドでの子どもが売られる問題のベストな解決方法はまだ誰も知らない。
しかし、だからといってかものはしは諦めることはしない。
絶対に、解決させる。
そんな想いの強さを感じた。
writer
谷 杏奈
高校2年生のときに「子どもが売られる問題」に出会い、以来問題解決のために様々な視点からアプローチしている。現在は大学3回生を1年間休学し、問題の最前線に取り組めるインド事業部にてインターン中。※ブログ記事投稿時のプロフィールです。