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Newsニュース・お知らせ

村田の被災地支援ご報告(2)

date2011.4.5

こんにちは、かものはし共同代表の村田です。

前回に引き続き、被災地支援のボランティアのご報告です。

◆印象に残っていること ~女川編~

南部の担当避難所の訪問を終え、北部地域の避難所です。
北部では、女川の避難所を担当しました。

女川の避難所に行こうと車を走らせると、ものすごい光景が、、、

女川(リサイズ).JPG

谷のようになっている場所が、津波で壊滅状態です。

レスキュー隊員が、まだ瓦礫を片付けて、行方不明者を探している状態でした。
破壊された家の前には、
「○○無事です!○○避難所に家族全員でいます!」
という手書きの文字が書かれたダンボールが置かれていました。

谷から上り坂を登ったところにあるお寺が
避難所になっており、住職と奥様が避難所を管理されていました。

私達が居たのは、合計で30分程でしたが、
その最中にも、沢山の方が訪ねていらっしゃいました。

「あの、行方不明になった家族を探しているのですが、
○○という者は、こちらにいますか?」

まだ、電気、ガス、水道が復旧しておらず、
固定電話も繋がっておらず、携帯電話も移動しないとかからない状況で、
こうして一件一件避難所をまわって、安否を確認しているようでした。

次にいらっしゃった方は、
家族全員が津波に流されてしまったと仰っていました。

ここのの避難所では、ご高齢の方が多く、
石油ストーブは危ないので、つけておらず、
寒い日々を過ごしていらっしゃいました。

自衛隊のお風呂が車で移動したところにあるのですが、
丘を降りるのがつらいので、もう1ヶ月もお風呂に入れていない人がいました。
迎えの車が丘の上までくるようになるので、もうすぐ入れるようになるとのことでした。

次の避難所は、保育園でした。

管理されている方が、保育士の方が多く、
小さな子ども達が過ごしやすそうでした。

お寺の避難所は電気が通っていなかったのですが、
こちらでは電気は通っていました。
同じ市内でも、場所によって状況が違うようです。
こちらでは、携帯電話も使えました。

避難所の窓がガラス一面に、
「○○○○を探しています。ご存知の方は連絡を下さい。
 090-××××ー××××」
と書かれた紙が貼られていました。

避難所内の状況をみていると、
75歳の男性が声をかけてくれました。


「俺達は、自分のことは自分でできるよ。
福島は原発もあるからもっと大変だ。
福島に行ってあげてくれ。俺達は日本国民だ。心が強い。だから、大丈夫だ。」

と仰っていました。

以前、南部の避難所でも、
「俺達丘の方は被害が少ないから、もっと浜の方の支援をしてやってくれ」と仰っていました。
自分も大変な時に、他の人に対する思いやりが、本当にすばらしいと感じました。

その後、他のボランティアスタッフとも合流。

帰り道、石巻に行く途中の道で、満ち潮の影響で、
浸水しそうになりました。

石巻.JPG

地面が下がって、海の水が道路の上にまでくるようになったのでしょうか

◆派遣された中で出来たこと

宮城県全域の避難所のうち、半分を第一期に派遣されたボランティアで行うこと
ができました。

今後は、実際に専門NPOとのマッチングが始まり、
被災者とNPOとがつながって、被災者に支援がいくようになります。
第一期の途中から、既に看護士の方が、避難所に行くようになりました。

第三期までに、宮城県内全域の避難所をまわりきる予定です。

◆今後、震災支援に関してかものはしはどう活動していくのか

第三期までのボランティアの派遣窓口を、
今後も行っていきます。

その後は、途上国の子どもが売られないように活動をしっかり行う中で、
被災された地域に必要なことを考えながら、
自分達に出来る範囲での支援を行おうと思っています。

村田早耶香

レスキュー隊員が、まだ瓦礫を片付けて、行方不明者を探している状態でした。
破壊された家の前には、
「○○無事です!○○避難所に家族全員でいます!」
という手書きの文字が書かれたダンボールが置かれていました。

谷から上り坂を登ったところにあるお寺が
避難所になっており、住職と奥様が避難所を管理されていました。

私達が居たのは、合計で30分程でしたが、
その最中にも、沢山の方が訪ねていらっしゃいました。

「あの、行方不明になった家族を探しているのですが、
○○という者は、こちらにいますか?」

まだ、電気、ガス、水道が復旧しておらず、
固定電話も繋がっておらず、携帯電話も移動しないとかからない状況で、
こうして一件一件避難所をまわって、安否を確認しているようでした。

次にいらっしゃった方は、
家族全員が津波に流されてしまったと仰っていました。

ここのの避難所では、ご高齢の方が多く、
石油ストーブは危ないので、つけておらず、
寒い日々を過ごしていらっしゃいました。

自衛隊のお風呂が車で移動したところにあるのですが、
丘を降りるのがつらいので、もう1ヶ月もお風呂に入れていない人がいました。
迎えの車が丘の上までくるようになるので、もうすぐ入れるようになるとのことでした。

次の避難所は、保育園でした。

管理されている方が、保育士の方が多く、
小さな子ども達が過ごしやすそうでした。

お寺の避難所は電気が通っていなかったのですが、
こちらでは電気は通っていました。
同じ市内でも、場所によって状況が違うようです。
こちらでは、携帯電話も使えました。

避難所の窓がガラス一面に、
「○○○○を探しています。ご存知の方は連絡を下さい。
 090-××××ー××××」
と書かれた紙が貼られていました。

避難所内の状況をみていると、
75歳の男性が声をかけてくれました。


「俺達は、自分のことは自分でできるよ。
福島は原発もあるからもっと大変だ。
福島に行ってあげてくれ。俺達は日本国民だ。心が強い。だから、大丈夫だ。」

と仰っていました。

以前、南部の避難所でも、
「俺達丘の方は被害が少ないから、もっと浜の方の支援をしてやってくれ」と仰っていました。
自分も大変な時に、他の人に対する思いやりが、本当にすばらしいと感じました。

その後、他のボランティアスタッフとも合流。

帰り道、石巻に行く途中の道で、満ち潮の影響で、
浸水しそうになりました。

石巻.JPG

地面が下がって、海の水が道路の上にまでくるようになったのでしょうか

◆派遣された中で出来たこと

宮城県全域の避難所のうち、半分を第一期に派遣されたボランティアで行うこと
ができました。

今後は、実際に専門NPOとのマッチングが始まり、
被災者とNPOとがつながって、被災者に支援がいくようになります。
第一期の途中から、既に看護士の方が、避難所に行くようになりました。

第三期までに、宮城県内全域の避難所をまわりきる予定です。

◆今後、震災支援に関してかものはしはどう活動していくのか

第三期までのボランティアの派遣窓口を、
今後も行っていきます。

その後は、途上国の子どもが売られないように活動をしっかり行う中で、
被災された地域に必要なことを考えながら、
自分達に出来る範囲での支援を行おうと思っています。

村田早耶香