子どもが売られない世界をつくる | 認定NPO法人かものはしプロジェクト

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村田の被災地支援ご報告(1)

皆様、こんにちは、共同代表の村田です。

私は、3月29日~4月3日まで、
被災された方と専門NPOとを繋げる、
「つなプロ」のボランティア第一弾として、
宮城県の避難所でのニーズヒアリングボランティアに行ってきました。

つなプロについてはこちら

◆まず、そもそもなぜ、かものはしがつなプロに参加しているのか

今回の震災は、日本を揺るがす大きな災害です。
世界の子ども支援をする団体として、
この国難で苦しむ、日本の子どもを守るためにも活動する必要があると考えています。

災害時には、性犯罪が増える可能性があります。
かものはしのミッションである、性的搾取を予防・解決するためにも
この活動は非常に意義があることだと考えています。

また、日本国内のNPOとの繋がりや、ファンドレイジングの経験があるため、
それらを活かして、今回の震災に関しても何かしらの支援ができるのではないか
と考えました。

特に、私自身も今回宮城県内をまわってきて、
復興のために大人に仕事を作ることが必要で、
子ども達は教育を受け続けられるようサポートすることが必要だと感じました。
まさに、かものはしがやっていることと通じています。

◆つなプロにどのような形で参加しているのか

かものはしでは、NPO法人ETIC.さんと共に、
東京からのボランティア派遣の窓口業務を行っています。

今回の派遣の中で、かものはしのスタッフ、インターン、ボランティアも、
派遣に参加しています。

また、つなプロの活動費用を集めるために、
かものはしの会員の方や協賛企業さまへのお声かけも行っています。

◆印象に残っていること ~宮城県南部の町~

私達は今回、第一弾として、約100人で、
300箇所近い宮城県内の避難所をまわりました。

その中で、特に印象に残っていることがあります。
3月31日に、宮城県南部にある町の避難所に行った時のことです。

学校の避難所に行った際に、責任者の人に話しを聞いたのですが、
その時に、ご自身が被災された時の状況を話してくださいました。

-------------------------------------------------------------------------------------

私は町役場の職員なので、津波がきた時に、町の人を連れて
建物の上の階に誘導しました。

上の階までたどり着いたところで津波がきて、
家も、車も流されていきました。

約二日間、ずっと役場に取り残されていました。

夜中も含めて、ずっと、町役場のまわりの建物から、
「助けてくれ!助けて!」
という声がいたるところから聞こえてきました。

夜になると、まっくらな海の中から、「助けて!」という声が聞こえるので、
懐中電灯で照らすのですが、ひっぱり上げることが出来ず、どうすることもできず、
ただただ、「がんばれ!もう少しで助けがくるから、それまでがんばるんだ。
がんばれ~!がんばれ~!がんばれ~!」と叫ぶことしか出来なかった。


二日後に自衛隊のヘリで助けられて、
町役場にいた人達はみんな助かりました。

でも、ほとんどの人が、浜でいちご農家をしていた高齢者で、
今後の生活が心配です。
私自身も津波で家を失ったので、ここで寝泊りしています。

-------------------------------------------------------------------------------------

がんばれ~!と叫ぶことしかできなかった。
という話を聞いていた時に、涙がこぼれ落ちそうになるのを必死で堪えました。
私が泣いたところで、何も解決しないと思ったからです。

その避難所を後にし、事務所に戻るまで少しだけ時間があったので、
皆と話し合って、浜の方の様子を見に行くことにしました。

車が破壊され、電柱が倒れ、家が壊れ、海に近づくにつれ、
家の基礎しか残っていないところが目立ちました。

亘理の鳥の海1.JPG

車を降り、道を歩いてみました。
道路は既に復旧しており、かなり海に近いところまで行くことが出来ました。
ほとんどの家に、「危険」という赤い紙が貼られていました。

家の前に、アルバムが置かれていました。
恐らく、行方不明者を探す際に出てきたもので、
思い出の品なので、持ち主が住んでいたと思われる家の前に置いて下さっていたのでしょう。
作業をされた方々の心遣いを感じました。

そして、海に近い、家の基礎しか残っていない場所の茂みの中に、
細い棒とその先に赤い小さな旗がついていました。

これは、「ここで遺体が見つかりました」という印です。

こうして、沢山の方が亡くなっていたんだということを思うと、
本当に胸が痛みます。静かに祈り、黙祷をささげました。

赤い旗(リサイズ).JPG

*続く

◆つなプロにどのような形で参加しているのか

かものはしでは、NPO法人ETIC.さんと共に、
東京からのボランティア派遣の窓口業務を行っています。

今回の派遣の中で、かものはしのスタッフ、インターン、ボランティアも、
派遣に参加しています。

また、つなプロの活動費用を集めるために、
かものはしの会員の方や協賛企業さまへのお声かけも行っています。

◆印象に残っていること ~宮城県南部の町~

私達は今回、第一弾として、約100人で、
300箇所近い宮城県内の避難所をまわりました。

その中で、特に印象に残っていることがあります。
3月31日に、宮城県南部にある町の避難所に行った時のことです。

学校の避難所に行った際に、責任者の人に話しを聞いたのですが、
その時に、ご自身が被災された時の状況を話してくださいました。

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私は町役場の職員なので、津波がきた時に、町の人を連れて
建物の上の階に誘導しました。

上の階までたどり着いたところで津波がきて、
家も、車も流されていきました。

約二日間、ずっと役場に取り残されていました。

夜中も含めて、ずっと、町役場のまわりの建物から、
「助けてくれ!助けて!」
という声がいたるところから聞こえてきました。

夜になると、まっくらな海の中から、「助けて!」という声が聞こえるので、
懐中電灯で照らすのですが、ひっぱり上げることが出来ず、どうすることもできず、
ただただ、「がんばれ!もう少しで助けがくるから、それまでがんばるんだ。
がんばれ~!がんばれ~!がんばれ~!」と叫ぶことしか出来なかった。


二日後に自衛隊のヘリで助けられて、
町役場にいた人達はみんな助かりました。

でも、ほとんどの人が、浜でいちご農家をしていた高齢者で、
今後の生活が心配です。
私自身も津波で家を失ったので、ここで寝泊りしています。

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がんばれ~!と叫ぶことしかできなかった。
という話を聞いていた時に、涙がこぼれ落ちそうになるのを必死で堪えました。
私が泣いたところで、何も解決しないと思ったからです。

その避難所を後にし、事務所に戻るまで少しだけ時間があったので、
皆と話し合って、浜の方の様子を見に行くことにしました。

車が破壊され、電柱が倒れ、家が壊れ、海に近づくにつれ、
家の基礎しか残っていないところが目立ちました。

亘理の鳥の海1.JPG

車を降り、道を歩いてみました。
道路は既に復旧しており、かなり海に近いところまで行くことが出来ました。
ほとんどの家に、「危険」という赤い紙が貼られていました。

家の前に、アルバムが置かれていました。
恐らく、行方不明者を探す際に出てきたもので、
思い出の品なので、持ち主が住んでいたと思われる家の前に置いて下さっていたのでしょう。
作業をされた方々の心遣いを感じました。

そして、海に近い、家の基礎しか残っていない場所の茂みの中に、
細い棒とその先に赤い小さな旗がついていました。

これは、「ここで遺体が見つかりました」という印です。

こうして、沢山の方が亡くなっていたんだということを思うと、
本当に胸が痛みます。静かに祈り、黙祷をささげました。

赤い旗(リサイズ).JPG

*続く